公式ページジャーナル 2009年1月6日付

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最新ジャーナル 2009年1月6日付 の訳です。
お友達のてまりさんがすばやくご自身のブログにUPされていたものを
お願いしていただきました。
いつもありがとうございます。

長い空白を埋めるかのごとく過去最長ではないか?
と思われる長文です。COIやNHK杯にももちろん触れられております。
体調や靴に苦しめられたようですが全米に向かって前向きに頑張っていて
全米が楽しみになってきました。

原文はこちら


こんにちは、みんな

まず始めに、前のエントリーからこんなに長い時間がたってしまったことをお詫びしたい。すごく忙しかったんだ。これで遅れた言い訳のひとつになるといいんだけど。

前にジャーナルを書いてから、いろんなところに行った。日本、ロシア、ワシントン、又日本に戻り、韓国(2回)、そしてもちろん、ニューヨークも歩き回ったよ。いいことも悪いこともたくさんあり、たくさんのドラマと興味深いゴシップがあった。夏の終わりの練習と、日本の横浜への旅行から話を始めるのがいいと思う。

キャニオン島での休暇が終わって、日焼けして肉付きが良くなってまだ始まっていない次のシーズンの成功にワクワクしながら、派手にリンクに出てきた。僕のプログラムに最後の仕上げの飾りが付け加えられ、アイダホへの旅行から戻ると、この夏の最後のショーであるチャンピオンズオンアイスに出演するために、喜んで横浜に向かったよ。いつものように日本のファンは素晴らしかった。インターネットで僕のどのナンバーを日本のファンがクリスマスオンアイスで見たいかという特別の投票がインターネット上にあった。「白鳥」がものすごい数でトップになり、「ダンスメン」にあわせた新しいフリープログラムからの抜粋とともに、スワンをチェロの生演奏で演技すると約束した。演奏家の生演奏で滑ることは、本当に特別なことだ。まるで彼らが感じているすべての感動を自分でも感じられるような気がする。ショーでは普段よりいいジャンプが出来たといえるよ。そして、観客は最高だった。スタンディングオベイションをどちらのプログラムにもしてくれて、僕のシーズンに向けて最高のはなむけだと感じたね。11月にはNHK杯で又日本に戻れることを知っていたので嬉しかったよ。でも、そのことは後でもっと話すよ。

日本から戻って、左足とくるぶしにすごく痛みを感じ始めた。出発の2週間前に新しいスケート靴を履き始めたので、それがどうやらとてもあっていなかったのだと思った。今まで運のいいことにスケートを始めて以来、問題がなかったので、このときには僕のスケート靴についてはあまり考えていなかった。今では欠陥を認めている。アイススケートを続けている限り、そして、エリートレベルのスケーターである限り、僕はスケートやブレードについては全く何にも理解していない。ただ、毎年新しいものをはいて、いつもの通り滑るだけだ。ガリーナヤコブレブナは新しい靴に変えるほうが利口だと考え、僕にはよくわからないけど、秘密の理由で一つを残して、右足は前のものを使うことにした。これが僕たちが決めたことだ。詳細は後で。

このスケート問題の直後、僕はロシアのセントペテルスブルグに行きペテルスグルブの地域の文化団体が主催した「アイスストーリーズ」に出演した。僕がただ一人の外国人スケーターでそのことはとどまることを知らない興奮を僕にもたらした。もうカップオブロシアには出演しないことがわかっていたので、ロシアに又戻れたことにもとても興奮した。ショーは美しかった。観客は大変素晴らしくチケットは売り切れで、誠意のこもった歓迎を受けて観客に僕の心を開いて滑ったよ。ショーのプロデューサーのスベトレナにセルゲイボロノフやコンスタンティンメンショフと一緒にノートルダムドパリから「ベル」のロシアバージョンを滑るように頼まれたんだけど、ショーでは一番人気のあるプログラムになり、スタンディングオベイションを奪ったよ。

セントペテルスブルグにいる間、ボスコスポーツ店に夏のオリンピックのコレクションを見ようと招かれて、店のために宣伝写真を何枚か撮影した。ボスコスポーツを知らない読者のために言うと、ボスコスポーツはロシアのオリンピック選手のために衣類やユニフォームのすべてをデザインし、生産している会社だ。店では何も期待してはいなかったけど、女性たちが僕のためにスーツケース全体に僕のための品物を詰め込み始めたんだ!みんなわかっているように、ロシアは僕の魂の一部だと感じているから、言ってみれば、公式な「チームのメンバー」になれたことにとても興奮したよ。僕はロシアを重い心で後にしたけれど、またすぐ戻ってこられることはわかっているさ。

ロシアから戻るとすぐにシーズンの最初の試合である、スケートアメリカの準備を始めた。ランスルーはあまりうまく行っていなかったんだ。ジャンプはうまく着地できていなかったし、左足にまたひどい痛みを感じていた。なんでもないことのように書いたけど、深いところではこれが何かもっと大きなことに変わるかもしれないとわかっていた。スケートアメリカは心の中ではそれしかないことで、しなければいけないことがあったから、靴のことは後回しにした。試合に向けて出発する2日前にスケートのブレードを動かし、ちょっと良くなったけれど、まだきちんとなってはいなかった。でも、とにかくすぐに試合はあって、それも大きなものだった。

スケートアメリカに何が起こるかはっきりとはわからないまま飛び立った。とてもいいスケートをしてこられたわけではないことはわかっていたけれど、でも、試合にでて、僕の国のために出来る限りいい演技をする義務があった。僕はいつもその年の最初の試合では興奮するし、この試合も例外ではなかった。夏の休暇の後で友人たちに会うことはいつも楽しいし、今までのことを知らせあったり、どんな新しいものを買ったかをチェックしたり、まあ、そんなことだ。今まで僕はスケートアメリカでは全く滑ったことがなかった。シーズンのとても早い時期だし、どちらかと言えばもっと準備に時間をかけるほうがすきなんだ。だから、人々の前に出たときにはまだ僕としては十分に完成しているのではなかったし、最高の状態でスケートをしたわけではないので、二つのプログラムでは恐ろしいほど緊張をしたよ。試合そのものはまずまずだった。ショートプログラムではいくつか大きな失敗をしたけれど、ロングプログラムはいつもに比べれば練習時間が少なかったわりには、かなりうまく行ったと思う。アリーナのファンは最高で、たくさんのジョニーズエンジェルを見ることができてすごくワクワクしたよ。たくさんの人たちが僕のことを、ジャンプの着地やあまりにも遅いスピンやステップでの躓き、精密さなどについて、悪く言っても仕方ないと思う。どの試合にも、僕は銀メダルを取ったトップのアメリカ人スケーターとして出場するんだけど、又、ダブルトーループでタイトルを失ったよ。シニア男子の試合がダブルトーループで決まるなんていったい僕はどんな世界に住んでいるんだ?一度ならず二度までもダブルトーループで負けた後でも、僕にとってはとてもばかばかしいことに思う。僕は世間知らずではないし、スケート/芸術性/算数/スポーツ/コンテストについてよくわかっているけど、でも、いい加減にしろって思うね。

スケートアメリカから帰るとたくさんの問題がおきていた。すぐにも近づいてくる東京のNHK杯に備えて、早くブレードを何とかする必要があった。僕のスケート会社Reidellに電話をして、僕がどうしたらいいか提案をしてくれるように頼んだ。すべての家庭を通して彼らは天使みたいだった。彼らは僕にチェックするべきことをみんな教えてくれた。左のスケートが内側にずれていて(皮と足の形が内側によじれていた)、かかとが数センチ今までより高かったのを見つけた。そのときまで感じていた痛みとジャンプの着地での不都合について説明した。わかりやすいように説明すると、僕は左の足をスティレット(ヒールの高い靴)で、右足をバレエのフラット靴で滑っていたんだ。試合と試合の間の短い時間では僕に残された案は、工場へ割くシーズンからの左のスケートを送り、くるぶしを補強してもう一シーズンをスリップやスライドしても過ごせるだけ丈夫にすることだけだった。Reidellは2日でスケートを送り返してくれて、僕はスルヤボナリーがやったように、二つの違う靴、1つは新しくもう1つは古い靴で氷上の練習をした。

日本に立つ二日前に、この一年で3度目のひどい風邪を引き込んだ。実際、疫病みたいだったよ。ちょっと言わせてくれ。14時間飛行機で飛んで、何も聞こえない、何も匂いをかげない状態に比較できるようなものは何もない。天国だよ。日本について、この国を見てファンに会ったときはいつものようにワクワクしていた。試合に出ることにも興奮をしていた。だって、スケートアメリカに比べれば、ずっとNHK杯のほうがよく準備が出来ていたからね。日本では毎朝ベッドから転げ落ち、目の前はどんどん暗くなっていき、咳はさらにひどくなっていった。毎朝毎晩医者に観てもらい、何とか試合をやりぬこうとした。また二つのそこそこのプログラムをやってまた銀メダルを獲得した。でも、いつでも倒れこみそうで死んでしまいそうな感覚と戦いとおしたことが僕にとっては真の勝利だった。数年前にはこんなことは出来なかっただろう。日本の観客の受け入れ方はいつものように信じられないほど素晴らしかった。日本では、彼らが僕が日本人であるかのように、僕を支えてくれている気がしたよ。あそこに行くことができてまずまずのスケートができてうれしかった。

グランプリの二つの銀メダルで、グランプリファイナルに出場できるポイントを獲得した。連盟は、もしファイナルに出場できたら、日本にいてもいいといってきたので、僕とガリーナはそうすることに決めた。一週間半を名古屋郊外にある豊田市の中京大学アイスアリーナで練習をした。安藤美姫や他のニコライモロゾフのグループと一緒に練習した。氷のコンディションは素晴らしく、世界でこんなにいい氷を見たことがない。安藤美姫のスケートはとても印象深かった。彼女はたくさんのクアドと、トリプルートリプルのコンビネーションを成功させていた。彼女は一緒に練習するには最高の刺激になった。彼女のおかげでさらに一生懸命練習したよ。日本で過ごした時間をとても楽しんだし、練習をしたり、「疫病」から回復するには最高の場所だった。

それがわかる前に韓国の高陽市でのグランプリファイナルに旅立った。試合のことを言えば、僕の練習はまずまずだった。まだ病気で弱っていたし、ランスルーをやり遂げるのは闘いのようなものだった。韓国に戻ってきて、韓国のエンジェルやファンたちに会うのはとてもワクワクした。飛行機から降りるとカメラと特別な歓迎の猛襲をうけた。すぐにみんなに会えたのはとても嬉しかったけれど、こういう場合にはふさわしくない服を着ていた。新しい宿に荷物を降ろして、試合を始めた。観客はすごくて、僕のためにロックコンサートにいるみたいに叫んでくれたよ。

氷に上に立ててとても幸せだった。ショートプログラムではトリプルアクセルで大きな失敗をし、6人の男子のうち4位になった。願っていたような演技ではなかったが、僕が観客に見せたいと願っていたような演技ではないという以上のものだった。観客は僕を興奮させてくれたけれど、彼らを失望させたような気がした。フリープログラムでは懸命にがんばったけど、素晴らしい順位に入れるだけのものは出来なかった。それでも、観客はまるで僕がチャンピオンになったような気にさせてくれた。3位になったけど、優勝できなかったことはとても残念だ。それに、僕自身の中ではショートプログラムであんな失敗をしてしまったことが残念だった。

韓国での試合はとても良かったし、ジュニアグランプリファイナルは才能の宝庫であることを知って興奮した。アメリカはすごく強く、ロシアも素晴らしいペアが現れた!キムヨナのスケートを見て、とても興味深かったよ。彼女が感じていたプレッシャーを想像もできないけれど、彼女が母国で素晴らしいことをしたのを見てとても彼女を誇らしく思った。韓国にいる間にどれほど僕が人気ものになったかを知ってショックだった。国に帰るために飛行機に乗ろうとしたとき、ほとんどの韓国の大きな新聞のトップに僕がいて、空港ではすべての人が、警備員まで、サインや写真をほしがった。これは素晴らしいことだし、愛情のほとばしりに感動した。最高のスケートができなかったにしても、ファイナルでの僕の体験では畏敬の念に打たれた時間だった。

アメリカに戻って一週間後、キムヨナの主催するチャリティークリスマスショーのために又ソウルに戻った。又ファンから誠意のこもった歓迎を受けた。JFK空港でも大韓航空のエアアテンダントやスタッフがファイナルの後こんなに早く韓国に向かうのかを知りたがり、写真をほしがった。僕は何か特別のことをしているような気にさせられたし、僕のスケートを通して人々を幸せに出来たら良いと願っているよ。

とにかく、ソウルについて、すぐにホテルに送り込まれ、ベッドで休む前に韓国語のレッスンを受けていくつかのミーティングをし、翌日はリハーサルを始めることにワクワクした。たくさんのメディアがやってきて、キムヨナと僕をフィルムに治めようとした。僕は二人のデュエットを練習し、オープニングとクロージングのナンバーを練習した。あそこにいられることがとても幸せで、ユナをショーで手助けできることも、もちろんチャリティーのためにお金を稼げることも、嬉しかった。クリスマスイブはスケーターたちのためにケーキカットのセレモニーで終わり、幸せな微笑みに包まれた。韓国のファンは、特にこの大事な休日に僕が家族からこんなに離れているのに、僕をとても居心地よくさせてくれた。彼らみんなが僕を見にきてくれることが出来て、とても嬉しかったよ。

クリスマスは実に興味深かった。朝起きて午後のリハーサルとショーの準備をした。リンクに行きいつもとはだいぶ違うような気がしたので、ロッカールームに行きしばらく横になっていた。次に起きたことはとてもすごい出来事だったから、みんなにも分け合いたい。ひどい胃のウィルスにやられて、エネルギーがなくなり、歩くことも出来ず2分以上胃にものを収めておくことも出来なくなった。でも、僕はめかしこんでショーをやらなくてはいけなかった。オープニングナンバーさえ出来ないと思うほどひどい状態だった。ゴミ箱で最後の「セッション」をしてから僕はヨナとのスペシャルパフォーマンスのために氷に出て行った。スケートをするのはすごく困難だったけど、観客の力で何とか滑り通したよ。僕とヨナのスケートを見て彼らはすごく興奮した。ヨナは僕のことをとても心配してくれて、プログラムの間中、僕が大丈夫かどうか尋ねてくれた。演技を終えた時には、とてもうまくいったよ。僕らは素晴らしいスケートをした。

氷から出て、すぐにゴミ箱に行き、僕が飲むはずだった水を戻した。二人のスケーターが終わると、また僕の番だ。韓国ファンへの特別なプレゼントとして、僕は「白鳥」を滑ることを決めていた。氷上での最高に輝いた瞬間とはいえなかったけれど、観衆が僕を助けてくれて、演技をやり通すことが出来た。時間がたつにつれて、僕は観客が僕がひどい病気であることを知っていて、僕の演技の間中ずっと叫び、ヒューヒューと音を出し続けてくれるのだと思った。いつものようにいい演技が出来るように元気だったら良かったのにと思ったよ。そして、韓国の観客に僕が彼らのクリスマスを祝うために最善を尽くそうとしているのだということをわかってもらいたかった。これはこれなりに、氷上にいて、僕の大好きなことをやれたから、クリスマスの過ごし方としては最高だった。僕は演技を終えて、ロッカールームに戻り、マッサージテーブルに倒れこんで気を失った。

あと何日か韓国で養生して、何人かの医者に見てもらって、14時間の飛行機の座席に再び座った。僕のファンは僕のことをものすごく心配してくれて、元気になるように言うためにホテルやその周りにきてくれた。僕はホテルで少し落ち着いて、ウィルスが僕の体からでていって気分が良くなってから、しばらくの間町に出かけた。かわいそうなママはたびたび電話をかけて僕のことをチェックしてくれて、彼女がここにいて僕の手助けが出来たらよかったのにといっていた。でも、僕はすべてがうまく行っていると保証した。僕は自分が「ベニファー化」しているのを知った。「*ベニファー」というのはJ.ローとベンアフレックが一緒にいた時、メディアが彼らを「ベニファー」と呼んだんだ。そして韓国のメディアやタブロイド紙がやった同じようなことをそういってみたんだ。彼らは僕とヨナを「ヨンジョカップル」と呼んでいる。素敵だと思うね。みんなに受けるといいな。)韓国は僕にとっては厳しい旅だったが、面白い時間を過ごしたといえる。ショーは成功し、僕はロックスターみたいな気分で、素敵な治療のクリスマスをすごし、チャリティーは子供たちを救うためのたくさんのお金を集めた。そして、僕は韓国のファンからたくさんの美しいプレゼントをもらった。素晴らしい旅行で、韓国で素敵な思い出をたくさん作ったよ。

大騒ぎのクリスマスの後で、ニュージャージーに戻って僕の胃に優しいウクライナの料理を食べて、体はいつもの状態に戻った。ガリーナヤコヴレヴナはとても心配して、僕が良くなるように文字通り饗宴を作ってくれた。とても役に立ったよ。大晦日には僕の親友の一人、クリスタグラコスがモントリオールから尋ねてきてくれた。クリスタはギリシャを代表して国際大会に出ている素晴らしいアイスダンサーだ。僕らはおしゃれをしてディナーを取るためにマンハッタンのCiprianiに出かけた。そして、その後パジャマを着て僕のソファーでタイムズスクエアのボールドロップをテレビで見た。彼女が来てくれて、少なくとも僕が家族の一人みなしている人が、休日の一日を一緒に過ごしてくれるのは素晴らしいことだ。休日に関しては、最も試合などの行事の多いホリデーシーズンだった。感謝祭は東京で、クリスマスはソウルで、新年はニューヨーク市で過ごしたから、しばらく僕は自宅にはいなかったんだ!

ナショナルへの準備は今まさにフルスイングだ。僕は家から6週間も離れて、二つの大きな病気をした後で、体力を取り戻そうとしている。スケートはしばらく調整をしていて、僕は出来る限り前向きに考えている。ナショナルをすごく楽しみに待ているし、今シーズン僕がしてきたことを改良しているところだ。今シーズンはまだ金メダルを取っていないので、シーズンの第2幕に向けて実際に炎を燃やしているよ。今年は今までのところいろんなことを潜り抜けてきたように感じている。病気や、器具の問題、低い自己評価、厳しい練習コンディション、家族に会えないことなど。もしもっとやってくるとしても、やってこい。すでに全米選手権に向けて一生懸命準備を進めていて、強さと、そしていつものように、美しいものを見せられるように願っている。

エントリーを終える前に、今シーズン僕を支えてくれたすべての人たちに感謝したい。みんなのことをどこにいても感じている。僕にとっては人々がこんなに熱心に僕がうまくやれることを願ってくれて、厳しいときに手を貸したいと思ってくれているのは大きな意味があるんだ。一人ひとり名前を呼ぶことが出来たらどんなにいいだろう。僕は素晴らしい状況にいて、それは何もせずに手に入れたものでは決してないからだ。今シーズンの残っている期間にみんなが僕を誇りに思ってくれることを願っている。指を交差して願をかけるよ。

2009年にはみんなが成功を愛と知識に恵まれますように。人生は時にはつらいものだけれど、苦しい時間のすべてが何か素晴らしいものへのフリーチケットになるだろう。平和と愛をすべての人々に。


いつでも愛しています。

ジョニー


P.S いつもそしてずっと、もし僕が書いたことで何か感情を害させたり、傷つけたりしたら、ごめんなさい。どうか僕の言うことをあまり深刻に考えないで。そして、僕の次のエントリーで修正できたらやってみるよ。キスを贈ります。

* お金と名声と美貌のあるカップルのことを言い,あまり好まれないカップルであることが多い

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